横堀 勇(Isamu Yokobori)


 小さい頃から非常に落ち着きがなかった私は、いつも怪我ばかり。交通事故で車の下敷きになったことや、木から落ちて肩を脱臼したことも。ある時には頭を何針も縫う大怪我も。幸運にも小学生まで死なずに済んだ私はモトクロスバイクに乗り始め、中学時代にはMTBで山岳ツーリイングに出かけるようになりました。山を荒らしまくったバチがあったのか奥多摩の登山道からMTBと共に崖へ転落。たまたま木に引っかかり一命を取り留めました。救助を待つあいだの記憶はほぼゼロ。しかし寒さと不安感、そしてロープで降りてくる救助隊を見た時の安堵感は今でも忘れられません。

 

 これまでに自分の命を守ってくれた人々への感謝の気持ちからか、その後は人の命を守る職業への憧れが芽生え、高校時代からはライフガードとして活動(その後10年間続けるようになります)。また大学時代は自然への憧れもあり、バイクでの日本縦断や登山など、行動範囲は広くなりました(流石に落ち着きも出て、怪我はなくなります)。そんな中、自然への理解をより深める為、カナダ東部へ単身留学します。カールトン大学にて環境学を専攻。そして、人の命だけでなく自然を守ることも自分の使命だと感じるように・・・。

 

 大学卒業後はロッキー山脈へ移動。より高度な山岳技術を得る為、Yamnuska Mountain Skills Semesterを受講。しかしこの時、肺結核に犯されていることが判明し、抗生剤による治療を受けつつも山岳トレーニングを続行。(その後6ヶ月間、汗もオシッコもオレンジ色の日々でした)。耐えた甲斐あってか、四季を通じた様々な状況下での山岳技術を身に付けることができました。トレーニングの中で最も衝撃を受けたものはWilderness Medical Associates Internationalが教えるWilderness First Responder(野外・災害救急法80時間コース)でした。ライフガード時代にファーストエイドは叩き込まれてきたはずなのに、自分がいかに無知であったかを思い知らされました。

 

 帰国後は静岡の自然学校に就職。富士登山や樹海洞窟のガイド業、また国際的な環境教育事業にも携わりました。当時はまだ北米のように体系化された野外専門の救急法は日本に存在しない時代だったので、この頃から日本での野外に特化した救急法の必要性を訴えるようになります。

 

 時は過ぎ、更なる大自然を欲し再度カナダへ渡ります。カナディアンロッキーのガイドになるべく、Association of Canadian Mountain Guides資格を取得。またカナディアンロッキーにてYamnuska Mountain Toursのガイドとして5シーズン、ガイド技術を磨くことになります。ロッキーの大自然を前に、野外・災害救急法の普及の必要性を強く感じ、この頃から日本で開催され始めたばかりのWMAコースに通訳として関わり始めます。

 

 その後、東日本大震災を目の当たりにし、都市型ファーストエイドの限界を思い知らされます。多くの人々が野外・災害救急法をマスターすることが出来れば、これから起こり得る未曾有の災害にも対応できる、そう信じ自らがインストラクターになる道を決意。再度カナダに渡り認定を受け、WMAインストラクターとして登録。同じく認定を受けたスイスアルプス山岳ガイドの太田拓野(現在はWMAJ共同代表)と共に、その後、WMA日本支局であるWMAJを設立することになります。

 

 WMAインストラクターである為には、ガイドレベルのアウトドアスキル、教育者としての経験、また医療経験が必要になります。カナダのガイド資格に続き、公益社団法人日本山岳ガイド協会のガイド資格も所得。また不足していた医療資格と経験を補うため、今度はアメリカに渡りコロラド州で救急救命士のスクールに通い、EMT(救急救命士)資格とWEMT(野外救急救命士)資格を取得。(現在でも医療資格の更新の為、3年に一度の間隔でアメリカに渡りレーニングを受け続けています。)現在はカナディアンロッキーからは遠ざかってしまいましたが、今は外国人を対象に日本国内の山々のガイドをしています。

 

 以上が私のヒストリーですが、どの様な人物像をイメージしてい頂いているのか気になるところです。見た目は髭メガネのアラフォーおやじ。外見と声が一致していないと、よく言われます。