吉沢 充世(Atsuyo Yoshizawa)


 横浜生まれの横浜育ち。性格はいたって温厚。趣味は音楽とたき火と星。声といびきの大きさは誰にも負けません。尊敬する人は平賀源内と父と祖父。あこがれる人(?)はスナフキン。

 

 5歳からクラシックピアノを習いはじめ、音楽が身近にありました。ピアノはやめてしまいましたが、ギターやオカリナなどの楽器演奏と歌の作詞作曲が趣味で、音楽と自分は切ってもきれない関係です。(カラオケも大好きです) 幼い頃から天文に興味を抱き、中学高校の6年間、天文部に在籍しました。毎月開催される部活の観察会。約20kgの荷物を背負い、夜になってから山に登り、テントを張り、自炊する。そして徹夜で天体観察をし、天体写真を撮る。これがのちに野外活動の世界で仕事をしていくうえでのバックボーンとなりました。

 

 天文への興味は、やがて天文学者になりたいという夢に変わり、中学高校時代に相対性理論や量子力学の勉強を始め、大学は天文研究室がある大学を選択しました。しかし現実は厳しく、自分が求める天文学の研究が思うようにできないことを知り、天文は趣味にとどめようと決意しました。私の進学した大学は、教員養成系大学でしたので、研究者の道をあきらめた私は、必然的に教員としての道を進むことになりました。地域子供会を運営するサークルに所属し、社会教育の勉強をするようになるのですが、子供会でおこなっていたキャンプについてもっと知りたいと思うようになり、野外活動指導者の勉強にのめりこんでいきました。

 

 大学卒業後、6年間小学校教諭として公立小学校に勤務し、各学年の担任として充実した教師生活を送りました。忙しい中でも野外活動指導をやめたわけではなく、“二足のわらじ”を履いていたのですが、教員という仕事は、他の仕事と両立できるほど、甘いものではありませんでした。日々の授業はもちろんのこと、クラブ活動指導、いじめや不登校児童への対応、教科教育の研究、校務分掌、校内行事・・・。未来を担うこどもたちに必要なこれらの仕事のひとつひとつが、おろそかになることはプロとして決して許されることではありません。どちらかを選択するしかない、と決意を固めた私は、野外活動を選択し、小学校教員を退職しました。このとき退職を決断しなければ、私は今でも小学校教員を続けていたと思います。

 

 小学校教員を退職してからは、野外活動指導にまい進する日々でした。収入は1/4以下になりましたが、自分の好きな仕事に没頭できる環境は、幸せでした。幼稚園キャンプ、小学校の自然教室、教育委員会主催のこどもキャンプ、専門学校や大学のキャンプ実習など、野外活動の中でも「教育キャンプ」と言われるジャンルの指導に多くあたり、これは現在も継続しています。

 

 一方、先輩が設立した野外活動を企画運営する会社に所属し、一般向けのアウトドアイベントも企画しました。トレッキング、キャンピング、マウンテンバイク、カヌー・カヤック、アウトドアクッキング、ネイチャークラフト、スターウォッチング、スノーシューハイキング、スキーハイキングなど、幅広いアクティビティをおこなってきました。2013年からはスキースクールに在籍し、スキーインストラクターとスノーシューガイドとして活動しています。

 

 「自然とひととの出会い」をテーマにし、ストイックに自然と向き合う、というよりは、ひととしてより豊かに生きるために自然と向き合ってみましょう、というコンセプトで今も活動を続けています。

 

 野外活動に携わっている以上、救急法は必須な項目です。自分なりに勉強をしていましたが、2011年に知人の紹介でWMAに出会いました。日本語教材を使って日本語の講習を行った初めてのコースだったそうです。インストラクターの太田・横堀から熱いパッションがビンビン伝わってくる衝撃的な講習会だったのを今でも覚えています。その後WAFA、WFRを受講し、いつしか「このカリキュラムを多くの人に広めたい」という欲求が胸の中に広がるようになりました。自然の中で思う存分活動するために、WMAのカリキュラムを理解することは、大きな後押しになると直感しました。

 

 「自然とひととの出会い」が私のテーマであることに変わりはありません。そして、私のバックボーンが「教育」であること。これも変わらないものです。これまで、教員として、そして野外活動指導者として、のべおよそ1万人の方たちに出会ってきました。そのひとつひとつの出会いが、今日の私を作り上げ導いてきてくれたものだと確信しています。

 

 WMAのインストラクターとして、出会いを大切にし、教育的な観点を常に持ち続けるインストラクターであり続けたいと考えています。