米田 哲(Toru Yoneda)


 

 自分は野外活動とはかなり縁遠い、平凡な生活を送ってきましたが、昔から地図を見るのが好きでした。
 鉄道が好きだったこともあり、小学校低学年の時には当時の国鉄時刻表をだいたい暗記して、時刻表と地図帳の上で日本旅行を楽しんでいました。
 高校生になって実家を離れ都会の下宿屋で一人暮らしを始めてからは、青春18きっぷと時刻表を片手に、鍋とマットと寝袋を背負って、田舎の無人駅で野宿をしながら全国を旅してまわりました。その延長で、大学生になってからは、バックパッカーとして安宿に泊まりながら発展途上国を旅していたのですが、中国領のチベット高原をヒッチハイクで旅をしていた時、標高5000メートル級の峠を何度か越えているうちに高山病で倒れ、意識を失ったまま病院に運ばれていました。

 

 

 当時の中国では外国人を自分の車に乗せることは違法行為だったにもかかわらず、病院まで運んでくれたトラックのドライバー、病院で出会った多くのチベット人や中国人、そして日本人旅行者に助けてもらい、何とか生きて日本に戻ることができました。

 多くの方々の心の温かさに触れると同時に、発展途上国の医療現場の置かれている状況がいかに困難で大変なものであるかを、医療者目線と患者目線の両方から体験することができました。

 

 子どもの頃から、医者としていつかは支援したいと漠然と思っていた発展途上国の方々に、逆に命を助けてもらったという事実を前にして、そこで初めて、自分のこれまでの自分勝手な生き方を反省するとともに、発展途上国での医療支援という人生の目的を具体的、かつ現実的に目指すことを決めました。

 学生として途上国での医療活動に参加し、大学を卒業して小児科医となり、ある程度経験や知識を積んだ後に、発展途上国で活動する機会を得ることができました。発展途上国では、難民向け病院での勤務の他に、災害時の緊急救援活動に何度も参加しました。天災や紛争などで、もともと医療資源に乏しい状況からさらに状況が悪化した時、何を考え、何を行うべきなのか。

 常識にとらわれず、常に目標を明確にし、状況が変わるたびに計画を修正しながら、チームワークで困難な状況を乗り越えていく、という経験を重ねている時に、ちょうどWilderness medicineと出会いました。柔軟で、かつ常に最新の根拠に基づいてアップデートするその思考回路に感動するとともに、発展途上国での医療も、災害時の医療も、まさに”Wilderness medicine”そのものだと気づくようになりました。

 医療の世界は、昔からの常識にとらわれて硬直しがちで、救急医療分野もそれは変わりませんが、今後は自分がWilderness medicineの考え方を、日本や世界の医療従事者に広めていきたいと考えています。

 

 自分には、野外フィールドでの経験や知識がほとんどないため、WMA Japanのアドバイザーになっていいものかかなり悩みましたが、“教える”立場ではなく、アウトドアに精通した多くの方々から様々な知識や経験を“教えていただく”立場の人間として、WMA Japanの活動に参加していくつもりです。みなさまどうかご指導のほどよろしくお願いいたします。