稲垣 泰斗(Taito Inagaki)


 山のない濃尾平野で生まれ、ムシ博士、川ガキとして幼少期を過ごす。ク◯ペリンテストの「好きなことしかやらない」的評価のまま、のびのびと育つ。

 

 高校時代、ワルイ仲間に誘われて、テントを担いで山に繰り出すようになる。登山計画書を警察に提出し、月に一度は家に帰らない不良生活。

 

 山が好き、と言うより仲間と出かける特別感が一番であったが、里山から鈴鹿、奥美濃、北アルプスと行動範囲を広げるに付け、その雄大さにビビる。いつしか一人でも山に行き始める。

 

 医学生時代、誤って体育会系の組織に入り、体力・精神の限界は色々な意味で自分が思っているより先にあることを知る。

 

 研修医時代、内科医を志していたが、目の前で人が倒れたり、轢かれたりした影響があってか無くてか、ある日思い立って救急医になる。

 

 ブラックな社会人になり、グッと休みが減ったところでトレイルランニングと出会う。2泊3日必要だった山旅に日帰りで行けてしまうことに気づき、一気にハマる。レースにも数多く出場し、気づけば国内外の100マイルレースを完走。そんな折、トレイルレース中に重症熱中症になって運ばれてきた患者を診たことをキッカケに、レースの救護体制作りに深く関わるようになる。その学びの中の一つとしてWilderness Medicineと出会い、WMAコースを受講する。

 

 WMAJメンバーのWilderness Medicineに対する情熱、デイビッド・ジョンソンのフラットでありながら真実を追求する姿勢、そして、非医療従事者であるアウトドアガイド達が真剣に学び、救急医療従事者レベルの専門的な野外救急法を修得していく姿を目の当たりにし、日本の野外救急分野の発展に貢献したくなる。

 

 WMAJやその他の団体と協力し、野外でのリスクマネージメントに関する研究会、Wilderness Risk Management Conferenceを立ち上げる。その後、WMAJ医療アドバイザーに推薦され、悩んだフリをしたが、ここだけの話、心は即決している。

 

 あれよと言う間に所属していた救命救急センターを退職するも、「あなたのやっていることは一貫してお医者さん」という妻の言葉を支えに、野外×救急っぽい種々の企みを実行すべく、落ち着きない日々を過ごしている。